頼山陽 1780-1832 江戸後期の儒学者,詩人。安芸(あき)の人。 名は襄(のぼる),字は子成,通称は久太郎。 朱子学者頼春水の子。尾藤二洲に学ぶ。 1800年脱藩するが連れ戻されて幽閉され, この間史書執筆を志し,《日本外史》を起稿した。 のち廃嫡となり,菅茶山の塾の後継者として招かれ, 1年余滞在ののち京都で開塾。詩文書画の名が高く, 多くの文人墨客と交わった。 簡潔な名文と名分論的な歴史観により幕末に愛読者を得た。 著書は他に《日本政記》《通議》《日本楽府》 《山陽詩鈔》《山陽遺稿》など。 マイペディア97(C)株式会社日立デジタル平凡社 |