ドロミティ心髄旅行記−1


9/21

一路。コルティーナ へ向かう。
コルティーナ経由でファルツァレーゴ峠に4時20分までに着かないと、
ラガツォーイ小屋行きの最後のロープウェイに乗れないので飛ばす。
幸いにも4時に峠到着、さっそく上まで一気に700m上がる恐怖のガラス箱に乗る。
怖いよー!!。
最後の部分はほとんど垂直にひっぱりあげられる感じで終点。
すぐに小屋までの長く苦しい登りにかかる。

撮影道具一式を担ぎ、2700mの酸素の薄い中、高山病と戦いながらヨーロッパの屋根へ、
一歩一歩高度を上げて行く。
その高度差30mほどをどうにか走破し、ゼイゼイと息を切らしながら小屋に到着。
たったこれだけの距離で、もうくたばってしまっている僕たち。
こんなんで、明後日のトレチーメ行きは大丈夫なの???

さっそくパノラマの大テラスでドイツ生ビールにて乾杯!

部屋に荷物を入れ、ちょっと昼寝したらもう夕食。
7時前だぜ、まだ。
でも、まあ、3人とも目の前にある物は食ってしまうという貧乏性なの
でテーブルに就き、赤ワインを頼む。
ハウスワインのくせにこれがウマい。

しっかり食べて、デザートが大好物のストゥルーデルで、これは絶品であった。
うーむ。この感じでは、せっかく減量したのにまた豚になるな、と警戒警報発令。
食事が終わって、まだ8時前!!試しに寝てしまえと部屋に戻る。



9/22

明け方に目が覚める。
群青の空に朝焼けが来ている。
早速飛び起きてテラスで撮影開始。
寒くて、氷が張っているが、ウールのジジシャツにネルの山シャツ、
羽毛ベストにパイルジャンパー、最後にゴアテックスジャケットという上半身。
下半身は綿入りの撮影ズボンなのでなんとか大丈夫。
ただ,手袋を持って来てなかったので手が痒くなった。

8時まで撮影し、朝食。
朝食後、小屋に泊まった客は全員が山歩きに出かける中、また部屋にて寝る。

「ナーンだ、山歩きしないのー?」と山小屋のおばちゃんにかまわれる。
「我々は芸術家だからね、手はシッカリしてるけどね、足はダメなのよ」と応える。

で、まずはちょこっと朝寝してから、やおら起き出して、スケッチや撮影を開始。
ちょっと歩いたり、仕事をしたりで、すぐに人生の充実感に充たされてしまい、
11時頃からテラスで赤ワインを飲み出す。
12時頃、高山で、もう腹が減って来ているので、えーい、食うぞ!とポレンタやスープの昼食。

ホールではロープウェイで下から一気に上がって来た80歳の老人が高
山病で倒れて、担架に乗って寝ている。心肺停止のようだ。
まもなくヘリコプターで医者が到着し、心臓マッサージ・・・という小屋内部は緊迫した雰囲気。

一方、テラスではスキーウェアの撮影で、金髪碧眼の180cmの
美女モデル一行でざわめいている。

われわれは、蘇生作業の「1、2,3、4,5、・・・ハイッ!」と
か、「ピコーン、ピコーン」というペースメーカーの音を聞きながら
羊、ソーセージ、キノコ入りのポレンタを食べる。

青春真っ盛りの美女、死に行く老人、その脇で食べている東洋人・・・
と、まるでイタリア映画のシーンそのまま。
トイレからの凄い風景を見て、「この風景で死ねるのは、ある意味、シ
アワセかな?」と思う。
僕も死んだら灰をここに撒いてもらおうか。

結局、老人の心臓は再動せず、顔に覆いが被せられて登山靴の両足のみがハミ出ている。
その脇を通って部屋に戻り、昼寝に突入。
また5時まで寝てしまう。

午後の光でトファーネ側がきれいなのでまたぞろぞろ起き出して、
撮影やスケッチで、またもや仕事をした充実感に充たされ、また昼寝。
7時から夕食。

これで、また明日の朝、撮影に起きられるのだろうか??


1=テラスから。一瞬,沸き出す雲。朝日に輝いている。
後ろは3000m級の岩山。
名前は全く覚える気も起きません、沢山ありすぎて。
2=マルモラーダを背景にした、眼下の頂きにも柔らかい雲が絡む。
大気のある惑星に居るという実感。
3=テラス北側の重なり。奥の奥にも奥がある・・・という飽きない風景。
これがテラスからビール片手で見えて、いいの?
4=主峰トファーネに映る雲の影。
何度見てもため息が出るのは恋したからか?
5=第一次世界大戦時の防衛洞窟前。
7=荒涼たる自然。
9=トイレからの実景。
夜中に怖くてトイレに行けない、だってこの風景が月光で見えているのだからね。